
娘・プーちゃんは2年前のロンボク地震発生時に私がそばにいなかったことから、地震後私がいないことを極端に恐れるようになった。
私がプーちゃんのそばにいないときに、私にもしものことがあったらどうしようと思うらしい。
地震時、プーちゃんはパパと一緒にバイクに乗って出かけようとしていたところだった。そのためか、今はパパとは一緒にいなくても大丈夫なんだ。心って一見不思議だけどとても正確なのかもしれないね。
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そんなわけで、被災以降、プーちゃんは私とずっと一緒にいる。
ちょっと離れることがわかると大泣きだ。
6月に無事卒園した幼稚園でも毎日が保護者参観日状態だった。娘以外にもこのような状態に陥った子どもたちがいたので参観は許されていたのだけどね。
そんなプーちゃんが、近頃、私がいなくても気心知れた大人や友達となら一緒に過ごせるようになってきた。
8月から毎週月曜日に小学校の訪問授業(近所の子たちを数名集めたところに学校の先生が来て教えてくださる)にいくようになった。
昨日からは従姉妹とイスラーム学習会にも参加している。
今日は、私が姑の介護をしている間に、叔母さん家族と一緒にキュウリをもぎに行った。
私と別れる時や別れたあとは少し泣くそうだけど、大きかったトラウマが毎日使う石鹸のように徐々に小さくなっているのがわかる。
無理に傷を癒そう、トラウマを解消しよう・乗り越えようとしないで本当によかった。

娘プーちゃんをみていて、これはトラウマ解消にはNGだなあと痛感したことも挙げておく。
- 娘の様子を異常扱いし、よくないものとすること
- ほかの子と比較すること
- 急かすこと
どれも本人の気持ちよりも他人や別の事情や常識を優先すると起こることのように思う。
つまりは、無理にトラウマを解消しようとか乗り越えようとせず、プーちゃんの気持ちをつぶさにみて、その時々で対応していくのが必要だったようだ。
なかでも、プーちゃんは私と離れられないことや少しでも離れると泣くことを、怒られたり笑われたりするのはとても嫌がった。
親の私たちをはじめ大人たちが「もう小学生なんだから」「そんなことで泣かないの」とたしなめたり、友達が「また泣いてる~」と囃したてたりしたらもっと泣く。二度とその子たちと一緒に遊ばないこともある。
それだけイヤなんだろうなと思っていたけど、よくよく娘・プーちゃんの身になって考えると「イヤ」程度の容易い話ではない。
プーちゃんは、すごくすごく悲しかったんだ。
ママがいない、ママに何かあったらどうしよう…そんな海の底に一人でいるような気持ちと一生懸命に戦っているプーちゃん。
自然と涙がでてくる。
きっと生理的・反射的な反応なんだろう。
プーちゃんにとっては泣くことしかなくて、選んでやっているわけではない。
それに対して、泣くなんてあなたはダメな子だ、弱い子だ、と言われたらそりゃ心傷つくよ。
ひどい失恋をして自分の魅力もまわりの人のやさしさも信じられなくなり、お付き合いに消極的になっているときを考えてみてほしい。
または、仕事で失敗してからささいな作業でさえビクビクするようになったときのことでもいい。
それでも力を振り絞って誰かに声をかけたり作業に取り組んだりしている。なんだか涙が出たり舌うちしたりする。その状態で「そんなんじゃダメよ」と言われたら、完全な追い討ちだよね。
プーちゃんにとって泣くなと言われたりからかわれたりすることは、地震のトラウマの上に自己否定という塩を塗り込まれているのと同じことなんだ。

厄介なことに、本人にも周りの大人や友達にもプーちゃんが傷ついていることは「見えない」「わからない」ものだった。
だから、悪気もなく「もう泣かないの!」なんて言っちゃう。
じゃあどうすればいいかというと…まずは、誰でも「理由があって」泣いていると理解すること。でも、うまく表現できない。そのもどかしさを察することだ。
そうすると、泣いても仕方ないなと許容度が一つあがる。
次に、本人の気持ちとどうしたいのかを確認する。
うまく言えないことも多いから、そっと見守る、待つ。くれぐれも先回りしない。そして手助けが必要かどうかも聞く。
ほんとうによく聞く。
本当の気持ちがスラスラ口から出てくる人なんてごく少数だ。
だから、五感で聞く、全身で聞く。
そして、助けが必要ならできることは助けるし、できないことは他人に振ったり別の方法を考えるし、不要ならそっとしておく。
これを(本人の許可を得てから)周りの人と共有する。
いつだったか、プーちゃんはこういった。
「泣いてるときは泣きたいときだから、放っておいてほしい」
そういうことだ。
私はこれを夫や近くにいる親戚の人たちと共有した。
プーちゃんにも泣いてるときに笑われたり怒られたりしたら、「泣いてるときは泣きたいときだから、放っておいてほしい」と言うんだよと伝えた。
「甘やかしすぎよ」などと自論をもってくる人もいるけど、これはさ、プーちゃんの自尊心にかかわることなんだ。
トラウマという傷口に塩ではなく適切な手当てを施すことが甘やかしすぎなもんか。
一言に災害のトラウマを癒すといっても、傷の大きさも深さも一人ひとり異なる。となれば、対処法も人の数だけあるはずだ。
こうしたことをなるべく落ち着いて冷静にプーちゃんの周りの大人にも子どもにも伝えていった。
「これは真剣な話です」と目を見ていえばほとんどの人は協力してくれる。子どももね。
本当にたくさんの人にプーちゃんのことを理解してもらった。
なかにはよくわからないけど、適当に合わせてくれた人もいただろう。
これからもプーちゃんをよく見てよく聞いて~、ゆっくりゆったり日薬も使いながら、周りの人に助けてもらおう。
そうやってプーちゃんが元気に幸せに過ごせるように見守っていこう。
いつかどこかでプーちゃんも誰かを助ける番になったとき、たっぷりとした愛情と理解のなかで自由に泳がせてもらったこの日々が大きく役に立つと思う。
(Midori Rahma Safitri)
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